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こちらのイベントに参加してきたので、会の様子と感想を書いていこうと思います。
原事実の解釈
原事実とは原事実である以上の解釈が難しいものであるのにも関わらず、様々な角度から解釈を本書では試みている箇所に関して話をしていきました。
本書の該当箇所では、あくまでも原事実を「解釈」しているものであり、何かを定義づけしているというわけではないものの、根源的なものをどう捉えるかというのは色々な「解釈」(≠仮説)ができるものの、これはどうしてこのような「解釈」をする意義があるのはよくわからないという話をしていきました。
本質的共通性
異質なもの(=異他性)というのは、自我と本質的共通性を持たないものだという定義がされていたのですが、本質的共通性とはどういうものなのだろう?という話をしていきました。
「狼と猫は人ではない」の「人ではない」が異他性なのではないか?という話をしていましたが、フッサールはこれまでも無前提性を置いているところがあり、あまり必然的ではない定義をしないので、このような表現は気になるねという話をしていきました。
ライプニットのモナド論
何かをやり取りできるものではなく単独に完結したものであり、何かに影響を与えるのではなくて自分で自分に対して影響を与え合うようなものであるという部分が、ライプニットのモナド論のエッセンスとしてフッサールに抽出されたのではないか?という話が挙がりました。
本質的共通性の説明の必然性
自分の身体がラインとして区切られてくる前の状態*1は微妙に曖昧で区別されない段階ですが、そういう段階があるからこそ他の身体という意味移動ができるのではないかという話をしていきました。(そういった考え方があるからこそ癒合性という表現になったのではないか?)
一方で、自分自身の観点だけで完結させる独我論の視点との差異はなんだろうか?なぜこのような説明をわざわざしないといけないのか?という話をしていきました。
前者の話に関しては、私をおかないと説明できない独我論に対して、我が発生する前の次元の話をしているのがこの部分ではないかという話をしていきました。
後者に関しては、たしかにこれまでの説明と比べると理屈を後からひねり出しているような感じがあるよね、という話をしました。
全体を通した感想
本がだいぶ後半に差し掛かってくるにあたって徐々にフッサールの論では完全に説明が難しいような話が出てきているので、ゆっくり立ち止まりながらどういう意図の記述なのか?というのを立ち止まって考えることができるのは普段の読書会以上にありがたみを感じましたし、楽しかったです。