天の月

ソフトウェア開発をしていく上での悩み, 考えたこと, 学びを書いてきます(たまに関係ない雑記も)

(オンライン読書会) これが現象学だに参加してきた

educational-psychology.connpass.com

こちらのイベントに参加してきたので、会の様子と感想を書いていこうと思います。

「意味」と「対象」は主観的なもの?

今回の節では「意味」と「対象」という言葉が登場しましたが、この「意味」や「対象」に関しては人によってまちまちなものであり、論理学の下を作るような学問を作りたいという考え方からするとそれでよいのだっけ?という話がありました。

フッサールは、「意味」と「対象」が「宵の明星」といった表現に存在するという話から定義づけを開始しており、上記のような疑問に対しては間主観性といったアイデアで対処しているのではないか?という意見が出ていました。

「基体」は「現出者」や「対象」と何が違うのか?

今回の節では「基体」という表現が登場したのですが、「基体」という言葉が出てくるまでに使用されていた「対象」と一体何が違うのか?という部分が気になり、議論していきました。

違うものではないか?という意見では、事象内容をもたない本質が基体であり、事象内容をもった本質が現出者や対象なのではないか?という意見が出ていました。

同じ意味を違う観点や違う文脈から説明しただけなのではないか?という意見では、これはフッサールが色々な視点で物事を捉え直している副作用的なものではないか?という推測や、本の著者が基体という言葉で結びつけを行っているからではないか?という推測が出ていました。

フッサールのぽか?

フッサールは直観的に構成される数が12までじゃないか?という意見を出していますが、これはフッサールが話していた言語に依存するものであり、根拠としては大分弱くてぽかなのではないか笑という意見が出ていました。

多面ダイス

意味の抽出をする例として、多面ダイスを見たときにそれがサイコロだと認識できているのは個々人に本質直観が備わっている良い例だという話がありました。

ある物体を見てこれがサイコロだよ、これもサイコロだよ、となる経験から上記のような事象が発生しているとすると、本質がstaticなものではないことがわかると同時に本質直観の存在が証明できそうだという話も出ていました。

全体を通した感想

良い意味でいつも通り、本を1ページ1ページ丁寧に読み進めながら、わからないところや面白い所に関して議論を進めることができて、非常に楽しかったです。

2章の影響もあって、今回はフッサールの思考の過程がトレースできるような感覚があり、その点も印象的でした。