天の月

ソフトウェア開発をしていく上での悩み, 考えたこと, 学びを書いてきます

(オンライン読書会) 精神と自然 生きた世界の認識論に参加してきた

educational-psychology.connpass.com

こちらのイベントに参加してきたので、会の様子と感想を書いていきます。(会で話した部分について、本に書かれている内容の理解を確認した部分については、著作権を考慮して省きます)

適応と耽溺

適応と耽溺について、結果論でしかないという主張は理解しつつも*1、耽溺か適応かを決定づける変数が何かしらあって、それを制御するというベイトソンとは違った考え方はできないかなあという疑問が読んでいる中で個人的にはありました。*2
そこで、話を聞いていて、精神医療で言われる反復行動が思い出され、与えられた情報源が狭いこと(コンテキストが極めて限定された状況)が、適応と耽溺という結果を分けるという考え方ができないかなあと、思ったことをぶつけてみました。

適応と耽溺に差異はないよね、という共通理解をベイトソンの主張を組み合わせながら参加者全員で共有していた状態だったので、この考え方が場の流れを壊してしまわないか不安だったのですが、皆さん優しくフォローしてくださり、助かりました。

2つのストカスティックプロセスと精神

2つのストカスティックプロセスを現実世界に適用して考えると、ファスト&フローのシステム1/システム2の話だったり、認知科学ジェスチャー・スピーチ・ミスマッチだったり、バイアスやヒューリスティックの話は、まさに2つのストカスティックプロセスの話なんじゃないか?という話が出ていました。
他にも、Javaのコードね、と認知するレベルとJavaのコードだけどバージョンは幾つで...といった風に認知するように、認知のレベル分けが行われているのは

ここから学習ってストカスティックプロセス2(個体レベルのストカスティックプロセス)の話だよね、などといった話が入って少し派生し、今日読んだ次の章にあたる論理階型の話(デザインパターンはある意味自然選択された結果で、それが言語のなかに自然と捉えられているくという話)もしていったのですが、参加者の方の色々な認知が聞けて、非常に楽しかったです。

発生させるタイミングで変化をさせようとしがち

ベイトソンが主張している、発生という収束的プロセスの話を考えると、組織でやろうとしている発生タイミングで変化を促すのっておかしいよね、という話をしていきました。

ランダム源のコントロールを如何にしていくか(これは生物学的に言えば、次に行う選択肢を刺激しているという点から、コンテキストを作っているとも言える)というのも、難しいけれど重要なテーマになってくるんだろうなあと話をしました。

コンテキストとは?

色々な捉え方はありますが、

  • 次に行う行動をその選択肢から選ぶのか?を決めるもの
  • 非言語要因
  • 圧縮したものを解凍するためのアルゴリズム

などが挙がっていました。
認知の枠組みとして捉えられることもできるし、それぞれの定義を「コンテキスト」という言葉が出たその場で使い分けて見るのも良さそう、という話も出ていました。

全体を通した感想

哲学書を読んでいると、普段は巡り会えないような洗練された思考過程に出会えるのでとても楽しいのですが、思考過程を辿れたことで満足してしまい、普段の自身の行動や仕事で制御する変数を見直すきっかけを作るのがなかなか大変なので、こうした読書会で他の方の理解や現実世界との紐付け方を聞けたのが、個人的には特に楽しかったです。

学びと心理学コミュニティの中でもだいぶ長い時間をかけて読んでいますが笑、次回も楽しみです!

*1:マンモスは耽溺の結果絶滅したと捉えられるが、人間よりも長い期間生存している。今は適応していると考えていることも、あくまでも結果でしかなくて、耽溺になるかもしれない

*2:過学習を始め、適応を試みた結果耽溺してしまった結果不幸になった話を割と多く聞いてなんとかしたいなあと感じていたので、適応と耽溺に差異はないと結論づけてしまうと、耽溺しそうな予見はできない、という話になってしまいなんとかする方向に進まなくなってしまう...