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こちらのイベントに参加してきたので、会で話したことと感想を書いていこうと思います。
認識
認識によって外の情報が矮小化されることも、認識によって内部の経験が抽象化されて場合によっては詭弁が生じることもあるよね、という話を認知科学の表象や論理階型のふみ上がり方のミスなどにつながってしまうかもしれないと感じました。
フォームとプロセス
人間を観察したから霊長類という類別ができるわけではなく、プロセスに対する観察を経たからこそ類型化ができるのだという話*1について、参加者で解釈の議論をしていきました。(今日はほとんどの時間をこの部分に使っていきました)
フォームからフォームへ論理階型を上がることはできない
詭弁かどうかを見極めるポイントとして、フォームから上位のフォームに繋ぐ議論をしてしまっているかどうか?やプロセスから上位のプロセスに繋ぐ議論をしてしまっている場合は、詭弁の可能性が高いよね、という話をしていきました。
フォームからプロセスへの梯子渡し
本書では、フォームからプロセスへ梯子渡しする際は、論理階型を上げる(梯子を登る)移動のみが言及されていましたが、論理階型を下げる(梯子を降る)移動は詭弁になるのか?日常生活では普通に起きていることなのではないか?という話が出ていました。
フォームが分かっているから全てのプロセスを理解できているよ、という態度は詭弁の可能性があるし、誤った現象の紐付けを行う可能性もあるけれど、梯子を登る移動が学習なら、梯子を降る移動は実践・適用・制御といった概念で捉えられるのでは?という話になり、言語習得の過程にまつわる話や、日本語という言語によって普段の振る舞いが制御されているという見方ができるのでは?という話をして、非常に楽しかったです。
最後の方には、自分達がまさにベイトソンの思考プロセスから制御を受けているといえるのではないか?という議論になったのは、面白い観点だなあと思って話をしていました。
非連続であるからこそ
書内にあるライフルと散弾銃の例え&散弾銃の非連続性についての言及について、これが一体何に繋がってくるのか?という部分を深掘りしていきました。
結論としては、やはり上記で書いたようなフォームからプロセスへの梯子渡しの話に繋がるんだろうという話になり、プロセスとフォームの関連性について考える意義を再確認する結果となりました。
現象学やカントの話とも絡めて、プロセスとフォームの関連性がなぜ重要か?という話題が出ていたのもとても興味深くて、書内で触れられている生物学の話を初め、様々な学問が繋がっているんだなあというのを実感できたのも最高でした。
全体を通した感想
今日は、とにもかくにもフォームとプロセスを結ぶ梯子の話題で白熱し、学びになりました。
気がついたら半年以上同じ本を読み続けていますが、今日の内容はまさにこれまでの集大成といった感じで、読んでいてわくわくしましたし、学びも多く、とにかく楽しかったです。
*1:プロセスからフォームへの梯子渡し