天の月

ソフトウェア開発をしていく上での悩み, 考えたこと, 学びを書いてきます

新春座談会-アジャイルとアレグザンダーと学習プロセス-に参加してきた

alexander-study.connpass.com

今日はこちらのイベントに参加してきたので、会の様子と感想を書いていこうと思います。(2022年最初のイベントでした!)

会の発端

きょんさんの上記Tweetに対して、懸田さんが以下のように反応したのがことの発端ということです。

ただ、雑談なのでどのような話をするかは決まっていません笑

会で自分が印象的だった話

スクラムやった方がいいんですかね?」「アジャイルしたいんですけど...」と言われたときにそれなりの頻度で見かける残念な風景

このような質問を受けた時、(アジャイルのエキスパート的な立ち位置の人が)色々と組織の話を聴いたり顧客との関係性を聴いたり契約の話を聴いて、「それではアジャイル(スクラム)はできません」といったり、「今はアジャイルではないので、とりあえずふりかえりから始めましょうか」...アジャイルの範囲を限定したり一方的かつ無責任な話に聴こえて残念に思えるというお話がきょんさんからありました。*1

このような話は再現性がなく、自分の定義を押し付けてその定義に沿うかどうかを気にしているようでは、アジャイルないしはパターン・ランゲージの話からほど遠いのではないか?というお話でした。

失ったものに目を向ける

アジャイルに関するプラクティスが整備された結果、「まずレトロスペクティブを導入しましょう」といったアドバイスができるようになったものの、この結果、元々アジャイルやXPが目を向けていた、全体性, パターン・ランゲージといった部分に目を向けられず、過去にできていたものが失われてしまっている感覚があるというお話でした。
一方で、ぱっとできるプラクティスの整備や、アダプティブにやっていこうという価値観の浸透は過去と比較して明らかに手に入れることができているというお話も出ていました。10年前にはアジャイルという言葉を使うだけで大きな抵抗に遭うという時代だったことを考えると、失ったものの代わりに得たものもあるということです。

また、失っているかどうかに本人が気が付いていないというのが難しい所で、うまく形式知化したり伝えられるようにしたいというお話をしていました。

粗っぽいアジャイル

こんな発言が参加者のsatoryuさんからありました。(とっても素敵な話だったのでそのまま引用)

スクラムを取り入れたチームの影響が組織に影響を与え始めて、組織のなかなか変わらない硬いルールとぶつかったときに、スクラムチームがちょっといびつだけど現実的な方法を見つけると、それが粗っぽさに見えるのかもしれない。
わからない人は、それを見て「アジャイルじゃない」と言うのかもしれない、という妄想。

現実解を見つける、という行為はコンテキストの調和を目指しているという点で十分にアジャイルと言っていいんだろうなあと思いました。

ブリコラージュとブレイクスルー

懸田さんが最近経験した印象的な出来事として、ブリコラージュとこのブリコラージュの中で起きたブレイクスルーの話がありました。

懸田さんがやかんでお湯を沸かすために試行錯誤していた時、インスタグラムのアウトドア系の投稿を見ていて、たまたまY字型の木の枝を作るアイデアがひらめき、その場にあった木の枝を使って5分で上の写真にあるようなものを作って、見事にやかんでお湯を沸かすことに成功したということです。

その場のコンテキストに合わせて物を作るという経験ができたことと、インスタグラムを媒介することで(小さくはあるものの)ブレイクスルーを自分の中で起こせたことに非常に興奮したということです。

懸田さんの例はプロダクト開発の話ではありませんでしたが、プロダクト開発においても、その場にあるものを取り入れて改善をしたり、他人の経験を還元して自分たちにブレイクスルーを起こすというのは楽しいものだし、実際に改善がされたりブレイクスルーが起きた時には興奮するんだろうなあと思いました。

全体を通した感想

上に書いた内容以外でも、懸田さんが最近興味を持たれているというポリヴェーガル理論の話・人の意識がどこから生まれるのか?という話を聴けたり、プロトコルの貧弱化がスケールに繋がっているという話やRSGT2022できょんさんがする予定の話などなど、新年一発目から盛りだくさんの話が聴けて、大満足でした!

アレグヲタク全開のきょんさんも見ることができて、最高でした笑

*1:アレグザンダーの文脈で言えば、「こんな池(ここでいう池の範囲にはベンチも含む)が欲しい」「いや、池と言うのはベンチを含まない」という会話には何も意味がなく、お互いのコンテキストを調和しようと努力することに意味があるのではないか?という話でした