天の月

ソフトウェア開発をしていく上での悩み, 考えたこと, 学びを書いてきます(たまに関係ない雑記も)

自分自身にもっと向き合いたい

最近、自分の中で起きた一つの変化として、「もっと自分自身のことを知りたい」「自分自身の感情に向き合いたい」と思うようになったことが挙げられます。
思考の整理をするために、こう思うようになった経緯を書いてみます。

完全に雑記で、システム開発と何も関係がないので、興味がある人だけ読んでいただければと思います。

子供(?)だった学生時代&社会人1年目

大学生までの自分は、良くも悪くも感情に忠実でした。
スポーツをやっていたというのもあるかもしれませんが、上手くいったときは思いっきり喜んで感情を爆発させて、上手くいかなかったときは泣いて悔しがりました。
周囲からは、ポジティブな評価では「熱い想いを常に持っている」と言われることもありましたし、ネガティブな評価では「幼稚」と言われることがありました。
感情を制御できず人に迷惑をかけたときは申し訳ない気持ちになることがありましたが、基本的にこの性質を直したいと思うことはありませんでした。

社会人になって、さすがに感情を表に出し過ぎることはあまりないようにしたいと思っていましたが、内面は全く変わっていませんでした。
先輩よりも早くバグの原因を見つけた時は心の中ではガッツポーズしていましたし、インフラ周りの知識について、同期がすいすい理解していく中、自分だけ理解が全然できない場面では、派手に落ち込んでいました。
しかし、そんな自分に、社会人1年目の終わりに転機が訪れました。

感情に蓋をすると楽になれると気が付いた1on1

社会人1年目が終わるころ、職場で自分の育成担当だった上司との1on1で、「顧客と話せるようになって欲しいから、その1stステップとして、顧客向けにシステムの仕様説明をする役割をいずれは頼みたいと思う。次の1on1では顧客に向かう前の練習として、私(上司)に説明して欲しい」という話をされました。
その頃はスクリプトテストの打鍵をひたすらしている仕事に飽き飽きしていたので、*1喜んで話を受けて、次の1on1までに自分にできる限りの準備をしました。
また、幸いにも学生時代の4年間は塾で講師のバイトをしていて、説明がすごい上手だと生徒からも他の先生からもフィードバックを受けていたので、人に対して仕様を説明する仕事にもそれなりの適性があると思っていました。

しかし、いざ1on1で説明をしてみると、論理的に説明が破綻していることや説明の順序が分かりにくいこと、仕様の理解が浅いことを次々と指摘され、とても顧客に説明できる状態ではないと判断されました。
自分自身のふがいなさが悔しくて、普段は表に出ない感情が涙となってその場ででました。涙を見た上司からは、「ここまで順調に人生を歩んできて、まだ辛い経験が足りていないのかもしれない。これからももっとしんどい経験はあるので、自分なりに耐える方法を持っておかないといけない」という話をされました。

この話を受けて、自分なりに辛い経験に対して耐える方法を考えた時、自分が試行錯誤して一番うまくいったのは、「全ての感情に蓋をして、自分は何の才能もないし何もできることはないと思うこと」でした。*2
全ての感情に蓋をすることで、感情に左右されずに安定して仕事の成果を出せるようになりましたし、自分は何の才能もないし何もできることはないと思いこむことで、ネガティブフィードバックされた時のショックが軽減され、ポジティブフィードバックされたときに、「自分はもしかしてできるのでは」と思って自分に対しての期待値が上がることがなくなりました。

感情に蓋をすると仕事がうまくいった

感情に蓋をして仕事をするようになってからのおよそ3年弱の間は、順調に仕事が進みました。間違いなく上司のアドバイス&サポートのお陰なので、感謝したいです。
社会人1年目で入院したことで背負った負債を完済し、次第に任される仕事も大きくなっていきました。要件定義~運用保守までを一通り経験させてもらえたお陰で、どの工程でもある程度の価値を出せるようになりました。
また、学会に参加したり顧客と対話を重ねることで、強固なドメイン知識をつけることができて、その道のプロとして、業務を実際に行っている顧客や顧客の顧客に対してもドメイン知識面でアドバイスを求められるようになりました。

仕事の責任が重くなるにつれて、感情に蓋をしようという意識はより強くなり、感情に蓋をすることが成果を出す秘訣だという強固な思想を持つようになったと、今ふりかえると感じます。
また、周囲が過剰なストレスを抱えて次々と辞めていく姿も、感情に蓋をできないと自分も同じように壊れてしまうのではないか、という気持ちを後押しするきっかけになったかもしれません。

成果が出るにつれて会社でも高い評価をいただけて、(勿論この時も感情を殺しましたが)後輩からはどうすれば成果を出して高い評価をもらえると思うか聞かれたときは、「感情をなるべく殺して、自分は本当に何もできないとどれだけ思い込めるかが自分にとっては大事だ」と伝えたこともありました。

感情に蓋をすることへの疑問が生まれたきっかけその1~「仕事は楽しい?」という質問~

そんな自分が感情に蓋をすることに疑問をまず持ったきっかけは、他部署から来た先輩の存在でした。
その先輩はある時、自分に対して「置かれている状況を見ると相当大変そうに見えるから、メンタル面を心配している。最近仕事は楽しい?」と聴いてきました。
質問に対して、「感情を全て殺しているので、仕事で楽しいと感じたことは一度もない。ただ、感情を全て殺せているので、辛い状況も辛いと感じにくいから現状もそこまでメンタルがやられることはない」と自分は答えました。
その答えを聴いた先輩が表情を曇らせたような気がしましたが、その後に「いや~メンタル強いなあ~笑」と言われたので、その場は特に何もなく終わりました。

そこから少し時間が空いて、自分に対して評価のフィードバックをする場が訪れました。その時、質問をしてきた先輩がその場にいて「仕事を楽しむともっと上手くいくと思う。仕事で楽しいと感じたことが一度もないという回答は衝撃だった」という話をしてくれました。
そこで、先輩が表情を曇らせた理由が分かったと共に、本当にこのままでいいのか疑問を持つようになりました。

感情に蓋をすることへの疑問が生まれたきっかけその2~「言葉に感情があまり乗っていないような気がする」という感想~

社外のコミュニティに参加するようになり、素敵なめぐり合わせが多数ありました。
そのめぐり合わせの一つとして、自分のこれまでの話を1対1で話す場があったのですが、ここで「言葉に感情があまり乗っていないような気がする」という感想をもらいました。
そこで、これまでの経緯を思い出して、「感情に触れるのが怖いからかもしれない」という回答をしたのですが、それに対して、「でも、自分自身(筆者自身)が本当は感情のことを知りたいと思っているような気がする」という感想をもらい、そこではっという気づきがありました。

思い返すと、これまでの自分は、プロダクトであったり現場で起きている問題に対しては、真正面から向き合って、問題から逃げることなく仕事をしてきました。*3
それなのに、自分自身からはとことん逃げていて、本当は自分自身にも向き合いたいのに、恐怖から向き合えていないことに気が付いたのです。

自分自身にもっと向き合いたい

上記2つのきっかけを経て、今まで感情に蓋をすることで自分自身に向き合えていないことに気付き、もっと感情を味わい自分自身に向き合うことに挑戦してみようという気持ちが湧きました。
もしかすると、感情に飲み込まれてしまい大変なことが起きるかもしれないですし、感情を味わったことがないのでどうなってしまうのか不安もあるのですが、少しずつ味わえるように、日々感情が動いたことを日記として書きとめるようにここ最近はなりました。
自分自身に向き合えたときに何が起きるのかを楽しみにして、今後も努力を続けていきたいと思います。

*1:入社と同時に腎臓に難病が発覚して4ヶ月会社を休むことになって研修を受けられなかった影響もあり、配属先ではずっとスクリプトテストを手順通りに打鍵してエビデンスExcelに貼り付ける仕事をしていた

*2:ただ、感情を全て抑え込むと精神上鬱になりやすいというデータがあることを知ったので、プライベートでは思い切り感情を爆発させられるように、意図的に趣味を感情的なものにしました。

*3:大きな問題があると分かった時に、その場では解決できない, あるいは自分の力では解決できないと分かったとしても、どうにかして問題を解決したいと思い、役員の人に直接アポを取って相談したり、何かしらのヒントが見つかると信じて社外のコミュニティに参加したり...