天の月

ソフトウェア開発をしていく上での悩み, 考えたこと, 学びを書いてきます(たまに関係ない雑記も)

新卒から5年半働いた会社を退職します

タイトルからも分かる通り、完全に私事な記事です。

新卒から5年半働いた会社を退職し、12/1から新しい会社で働くことが決まりました。(どこで働くかはその内何かしらの形で公開できればと思いますが、本記事では一切触れません)

  • 5年半働いた会社への感謝
  • 簡単な退職経緯
  • 自身のふりかえり

をモチベーションに、文章を書いていきます。

また、今回退職した会社を「前職」12/1から働く会社を「現職」として、以下に記載をしていきます。(本記事の執筆時の現状とは促していないのですが、回りくどいのでこう記載します)

退職した理由

一番大きな理由は、前職の環境で働き続けることが健康上厳しいと判断したことです。

自分は腎臓に難病を患っており、毎日幾つかの項目で数値をチェックしてその結果をモニタリング&定期的に通院しながら、心身に負担がかからないように生活をしていく必要があります。
そのため、前職では自身の働き方に関して、配慮をしてもらっていました。*1

一方で、前職の社員は仕事に対して非常に士気が高く責任感が非常に強い社員で溢れていて*2、扱っている領域もミッションクリティカルで24時間365日絶対に止まることが許されないようなシステムや障害が起きた場合にとんでもないインパクトを社会に与えてしまうようなシステムが多く存在していたため、自身以外の社員の大多数は自分が絶対にできないような働き方をしていました。*3

そうした社員の存在は刺激になる面が大いにありましたし、前職でしか間違いなくできないような貴重な経験も多くあったのですが、ここに自身の性格が合わさった結果、感じなくても良い罪悪感を生んだりプレッシャーを感じたりと、主に精神面で負担がかかってしまう場面が入社してから多くありました。
また、負荷を極力排除しようとしても、問題発生時などはどうしても長時間労働などをせざるを得ない状況になってしまうことがありました。

それでも、自分がやりたいことが叶えられる環境でしたし、自分専用に労働環境を作り上げてサポートしてくれたりと社員一人一人に寄り添ってくれる会社で、愛着もすごくあったので、体調に関して自分の中で定量的な条件を決めて、その条件を満たし続けている限りは前職で働く選択肢を消さないようにしたいと思っていました。

そして、2022年の8月にその条件を満たせない日が訪れてしまい、退職することを決意しました。

また、偶然にも、今後やっていくことに悩み始めている時期だったというのももう一つの理由としてはあります。
キャリア的に、広く浅く色々なことをやるようなキャリア*4になっており、もう少し自分が好きな仕事や興味がある分野にフォーカスすることを検討していたため、転職という選択肢を考えている時期でもありました。

この2つが重なって、前職を退職し、転職することを決意しました。

やってきたことのふりかえり

簡単にやってきたことをふりかえります。

1年目

入社前の健康診断で難病が発覚し、入社とほぼ同時に、休職&闘病生活で入院というなかなかな幕開けでした笑

会社の社風/扱っているシステム的に復職は難しく、転職の打診も医師との会話ではありましたが、前職が社員に対して非常に寄り添ってくれる会社だったので、労務の方を中心に、自身が働けるような環境を作り上げてくれて、秋頃にはなんとか復職することができました。

ただ、プログラミングはもちろんIT未経験で、キーボードを片手で打っているような状態だったので、配属してからはマニュアルテストの打鍵を中心にやり、やったテスト結果をテスト報告書に書くといういわゆる"テスター"のような状態でした。

2年目

テスト打鍵を毎日続ける状況が続いていましたが、さすがにこの役割で今後働き続けるのは厳しいと直訴した結果、コンサルタントに近い仕事をしていくことになりました。

見事なまでのシーケンシャル開発だったので、数ヶ月の間コンサルタントをしつつ要件定義書を作ったり、提案書や議事録を書いたりしていました。
また、いろいろあってカスタマーサポート的な役回りも受け持つことになり、顧客と直接話をする機会がこのあたりからできていきました。

顧客と直接話せるようになったのは自分にとってめちゃくちゃ大きい経験で、ドメイン知識を深めることができたり、コミュニケーションスキルを磨くことができたり、エンドユーザーの生きた声をものづくりに活かす楽しさをこのあと実感するきっかけになったりしました。

シーケンシャル開発でいう下流工程も一応経験しましたが、コードはほぼ書きませんでした。

3年目

顧客のカスタマーサポートを続けているうちに、徐々に顧客がやりたいことが明確にわかってきたのですが、従事していたシステムの関係上、やりたいことを定式的に数式のような形で表現する必要があり、機械学習統計学を独習し始めました。

文系で数学ⅠA*5しかやったことがない上に自分の周りに誰も教えてくれるような人はいないという中だったので無謀な挑戦でしたが、不確実で答えのない領域で問題を解くのが好きなため、前向きに勉強をすることができて、面白い分析結果や仮説を幾つも見つけることができて、お客さんにも喜んでもらうことができました。

ついでにSQLを覚えたりプログラミングの基礎知識が身についたりと、エンジニアのキャリアに一歩を歩み入れることができる一年でした。

並行して、シーケンシャルなシステム開発も経験して、営業&コンサルタント〜運用保守を一通り経験することもできました。

4年目

シーケンシャルなシステム開発もしていましたが、大規模開発をしているとあるあるな課題に対して立ち向かうことがメインになる一年になりました。

上半期は泥臭いことをひたすらやっていたり、ひたすらいろいろな人に助けを求めたりしていました。
下半期は、課題解決の道筋をいろいろと考えているときにスクラムに出逢うとともに、外部勉強会の存在を偶然知ることになりました。これが自身の大きな転機となりました。

5年目

4年目の11月ごろにアジャイルと出逢い、考え方やアジャイル開発を実践している人たちに心から惹かれて、アジャイル開発だったり、チームのエンジニアリング活動を実践し続けました。

経験者が誰もいない中での実践だったりメンバーの兼務問題だったり、一般的に見ると誰がどう見ても失敗しそうな環境でしたが、読書で知識を仕入れて足りない実践経験をコミュニティで補ったことが幸いしたのか、自分ではびっくりするくらい上手くいきました。(正直運がただただ良かっただけな可能性もあります)
会社からもとても高い評価をいただけくことができて、素直に嬉しかったです。

この経験のお陰で全社的な活動に参加することができたり、一部の社員だけが得られる特権のようなものがもらえたりして、まさに太い経験を積むことができました。

ここで出すことができた成果はどこか外部で発表したいくらいのものなのですが、割とセンシティブなものもあったりして話ができていないのは残念です。

6年目

5年目に出した成果を評価してもらい、自分の要望を完全に叶えるような形でチームの異動をさせてもらいました。

扱う技術もドメインも人もほとんど全てが未経験な状態でしたが、今まで見てきた世界や技術の幅がどうしても狭かったということもあって、いろいろな世界やいろいろな道筋、いろいろ人と触れ合う機会があり、学びがめちゃくちゃ多い日々を過ごすことができました。

また、部署を跨いだ全社横断的な活動を通して、さまざまな人たちと出逢うことができましたし、社内カンファレンスを開催することができたりと、ここでも非常に充実した日々を送ることができました。

ただし、最後は驚かせるような形でチームを去ることになってしまった点に関しては心残りです。

会社への感謝

まず、自身の健康面に関して最大限の配慮をしてもらったことに感謝したいです。

前例もなく、周りとも全然違う働き方を選択させてもらえましたし、COVID-19が流行ったときにもすごい速さで対応をしてくれました。労務の方には特にお世話になりました。

また、部署を跨ぐような形になっても定期的に目をかけてもらったり、自身のキャリアプランに合わせていろいろな仕事を用意して経験させてくれた方々や、その仕事に対して一緒に支え合いながら取り組んでくれた方々にも感謝をしたいです。

全体を通して、なかなかタフな経験も多くありましたが、満足のいく5年半を過ごすことができました。

おわりに

まだ不思議な感覚が残っているというのが正直なところですが、退職したことを後悔するようなことにならないよう、自分がやりたいことを思いっきりこの後やり続けられたらと思っています。

記事で書いた以外にも、様々な濃い経験や印象的な出来事があって、ファーストキャリアとして今の会社を選ぶことができて良かったです。

冒頭にも書きましたが、現職の話はこの記事とは全然別の形で12/1以降のどこかで公開しようと思うので、もうしばしお待ちください。

*1:後にも記載しますが、前職では自身の健康面に関しては最大限の配慮をしてくれました

*2:ここは自身の入社の決め手でもありました

*3:例えば深夜のアラート対応など

*4:厳密にいうと、ある部分では、ものすごく深いキャリアを歩むことができていました。ただ、一定のやりがいは感じていたものの、やっていてものすごく楽しいかと言われると難しいところでした

*5:今はもうこの言い方をしないらしい