天の月

ソフトウェア開発をしていく上での悩み, 考えたこと, 学びを書いてきます(たまに関係ない雑記も)

(オンライン読書会) これが現象学だに参加してきた

educational-psychology.connpass.com

こちらのイベントに参加してきたので、会の様子と感想を書いていこうと思います。

理解不可能性

自分と異なった世界に属しているのかという判断基準の一つとして理解不可能性が語られていますが、「Aだ!」と思ってもBだった場合などは理解不可能性があると言えるのだろうか?という話をしました。(例えば違う種族である犬であっても、行動を勝手に解釈して「理解した」と判断することがある)

明確な答えはないものの、理解した!と思ったら勘違いというよりは、異なる場所で異なる営みをしている人たちと自分たちで行為の意味がぜんぜん違うみたいな文脈が近いんだろうなあという話は出ていました。

また、「理解不可能」にもバリエーションがありそうだという話になり、

  1. 何を言っているかはわからないが、アラビア語だということはわかる(会話をしようとしている、という「故郷性」)
  2. 何を言っているかもわからないし、そもそも言語なのかもわからないが、自分に向けられている(会話になっているのかすらわからない何かが自分に向かっている)
  3. 何を言っているかも、そもそも言語なのかもわからないが、どこか遠くの出来事(異他的なものが出現していない)

といった風に話ができそうだという意見もありました。

驚愕

異他的な度合いが強い出来事に立ち会った際、その出来事の時間位置がおかしくなり、把持にならなくなってしまう(原印象のままになってしまう)というのが、驚愕の中で起きているメカニズムなのではないかという話がありました。

フロイトとの結びつき

谷さんの考察は面白い一方で、把持/原印象/予持の関係性を壊してしまう(すっ飛ばしてしまう)のはどうなんだろう...?という話が出ていました。

異他性と自分

他人に振り回されずに自分の考えという軸を持つ必要があるというのをこれまで思っていたものの、異他性の議論を読んでみて、他者がいるからこそ自分の考えがある訳で、そう考えると自分の意見というのは一体どこまでが自分の意見なんだろうか...?という話がありました。

全体を通した感想

文庫本でページ数も200ページちょっとでしたが、10ヶ月くらいかけて読み続けてきた本なので、一通り今回で読み終えて感慨に浸るものがありました。

改めて自分のものの見方や考え方がどれだけバイアスにまみれているのか?というのがこれまでとは異なる観点から説明されたのがすごく学びの印象として強かったなあと思いました。