educational-psychology.connpass.com
こちらのイベントに参加してきたので、会の様子と感想を書いていこうと思います。
雑談
最近気になる本として、北大路書房の本の紹介がされていました。今後読書会もやるかもしれないということで、非常に楽しみです。
他にも、現象学をどのように日常的に適用するか?という話で、蓋然性と必然性の区別やデータを妄信しない態度などが日常にも適用できそうだよね、という話題が出ていました。
予持と把持の期間
予持は過去の現出であり、把持は未来の現出だとすると、本にあるようなドレミの歌の例よりも広い期間でも予持や把持が適応できるように思えるが、これは期間の定義などをフッサールが定めたりしているのだろうか?という話をしていきました。
ただ、どうやら今後この疑問点に答えて世界の構成にまで話が飛ぶということで、後のお楽しみということになりました。
アポステリオリなものからアプリオリは抽出できるのか?
アポステリオリな事象を捉えてある種のアプリオリに関する仮説を立てることはできるけれど、アポステリオリな事象が幾つあってもそれをアプリオリの根拠付けにすることはできないよね、という話をしていきました。
形式命題論
「真理」は可能である、という表現から、文脈によって真理かどうかが変わってくることって形式命題論的にあるのだろうか?という話を聴いていきました。
形式命題論としてはそのような場合はないものの、言葉が省略されているがゆえにある場面では真理となるような話はありそうだという意見は出ていました。
理性
この章で言われている理性はカントが言う理性であり、ロゴス的文脈での理性となるので、(カントの文脈で言う)アプリオリな理性を指しており、アポステリオリな理性であるという話がありました。
そのため、この本の文脈で「理性がひとつ」と述べているのは、カントの純粋理性/実際理性という種分けに対しての批判であり、個々人によって理性がわかれているという話に関しての批判ではないということでした。(個々人によって理性)
心理物理
フッサールの領域存在論から考えると心理学はどこに位置するんだろうか?という話から、「心理物理的」とはなにか?という話をしていきました。
精神物理学の文脈に近い話なではないか?という意見も出ていました。
全体を通した感想
元々は比較的読みやすい*1章で一人でも内容をある程度は理解できていたように感じていましたが、理性の部分を始め誤解して読んでしまっている部分も多く、読書会の効果を実感する会でした。
学問の基礎づけの話は焦らされ続けている感覚があるので、次回の読書会が早くも楽しみです笑