天の月

ソフトウェア開発をしていく上での悩み, 考えたこと, 学びを書いてきます(たまに関係ない雑記も)

Scrum Fest Niseko 2023でspring_akiさんの話を聞いてきた

www.scrumfestsapporo.org

今日から2日間開催されるスクラムフェスニセコに参加しています。
今日(Day1)はspring_akiさん(以降Akiさんと記載します)のkeynoteである「コミュニティ、人、関係性」を聞いてきたので、話の内容と感想を書いていこうと思います。

keynoteのオーダー

今回のkeynoteでは、コミュニティの話だったり、人と関わることで得られるものの話を聞きたいというオーダーをいただいたという話がありました。

ようこそスクフェスニセコへ!

Akiさんは、アジャイル札幌の準メンバーと自認しているということで、今回のスクフェスニセコが初めての人に対する歓迎がありました。
正確な人数はかけないのですが、会場の多くの人(体感半分くらい?)が今回のスクフェスニセコアジャイル札幌主催の初イベントということで、驚きました。

スクフェスニセコのすごさ

今回のスクフェスニセコでは、多くのことを辞めましたが、それってすごいことだよねという話がありました。

一度始めたら続けないといけないフォースがあるなか、やめる勇気があるのってすごいな

部屋の中の大きな象

今回たくさんのことを辞めるという決断をした背景として、昨年あったアンチハラスメントに対するフィードバックがあって、それは部屋の中の大きな象に感じるという話がありました。

もちろん当事者を批判することはしないけれど、やり取りの中で色々思うことがあり、この出来事がきっかけで変化があったなかで触れないのはおかしくも感じているということです。

Akiさんは、運営メンバが楽しんでほしいという想いが強くあるし、"参加者側" / "運営側"の区分けをしてほしくないとも思っているそうです。

初めての環境

先日AkiさんはGlobal Scrum Gathering 2023 Amsterdamに参加したそうですが、Akiさんは英語が全く喋れず、そこで川口さんをはじめとした方々がいる心強さをすごく感じたということです。

今回のスクフェスニセコでも、ある人にとっては楽しい話だけれど初めての人にとっては内容がよくわからない内輪ネタに聞こえてしまうことはあるだろうということで、そういうときには初参加ではない人やコミュニティに慣れている人がすっと話の輪に入れて上げてほしいという話がありました。

もちろん、声を掛ける人にとっても声を掛けるのは緊張するし、絶望的に気が合わない可能性もあると思いますが、無理をしない範囲かつ関係性を作ることに興味があったり意義を感じる人は、垣根なく頼れる人を多数作って欲しいということでした。(ただ、コミュニティが苦手ならコミュニティに居続ける必要はないし、必要な距離感で付き合ってほしいし、コミュニティにずっと居続けたりコアに参加することが偉いわけではない)

メッセージの受け取り方と取り扱い方

ここまでは前座ということで笑、ここからセッションの本題に入っていく前に今日のセッションをどう聞くといいか?という話がありました。以下のようなポイントが話されていました。

  • 今回のセッションでは何か大事そうな話があるかもしれないけれど、心に響くなら採用していいし、違うと思うなら捨てればいい
  • 好き嫌いでも共感でも違和感でも、なにかしらの種が埋められていればそれでよい
  • 自分のことは自分で決めていい(大人は感情を制御できないといけない、一貫性を持たないといけない...は自分で決めればよい。口が強い人にしたがう必要はない)

人と人との関係性で大変なことが起こる

ここから本題の関係性の話に入っていきました。

人と人が関わると、大変なこと*1が起きるそうです。

Akiさんが見ている範囲だと、こういったことは感情に支配されているか、冷静ではあるがその行動を行うべき何らかの理由が存在していることが多いということです。

感情に支配されている状態

自分が感情に支配されている瞬間に自分が感情に支配されていることを認知することはまず不可能だと思いますが、自分の感情に目を向ける訓練を筋トレ的に続けると、EQが高まり、徐々にディレイが少なくなってくるということでした。

感情に目を向ける際には、NVCの感情リストを活用して感情の解像度を高めたり、自分のニーズを探索することで、どういう感情がなんで巻き起こったのか?という整理がしやすくなってくるということです。(この人は怒りたいから怒っているんだ...みたいな解釈がなくなる)

ただし、自分探しの旅にでかけてしまったりといったように自分を探し続けることにのめり込みすぎないほうがいいという話もありました。

自己肯定感

今回のような話を聞くと、響きすぎる人は自己肯定感を下げる可能性がある(自分はもっとXXしなきゃなあ)ということですが、そういうことはしなくてもいいんじゃないかということで、ここまで長い人生でやりきったことを自信にしていいんじゃないかというお話でした。

冷静ではあるがその行動を行うべき何らかの理由が存在している

司馬遼太郎の「自分が正義だと思ったとき、人間はどれだけでも残酷になれる」という言葉に代表されるように、「みんなXXすべきでしょ」となってしまい話を受け入れられなくなるという話がありました。

これは、「誰もが正しい、ただし全体からすると一部だけ正しい」「郡盲象を評す」という話に代表されるように、その人なりの正義を持っているということです。

わかりあうとは?

関係性の問題は、話せばわかるものもあれば何年かけてもわからないようなものまでピンキリで、極論を言うとお互いが完全にわかりあえることなんてないのでは?という話がありました。

そうすると、わかりあうことって何?という話になりますが、Akiさんは、わかりたいと思い続けることがわかり合うということなのでは?と思っているそうで、「このひと理解不能」と思ったとしても相手をわかりたいと思えるような状態があれば、ひとつの「分かり合う」と言ってよいのでは?ということでした。

具体的にどうやればそんな状態になるの?というと難しいですが、勝手に解釈するのではなく、接点を持ってみることは役に立つかも知れないということでした。

世の中を楽しむ

拒絶や二極化をするだけではなく、わからなければ一旦休息してまた旅に出て、世の中の同じと違いを楽しんでほしいというメッセージがありました。

最初にいったように、立ち止まることを覚えて、いのちを大事に気持ちが戻ってきたらまた世の中を楽しんでほしいということです。

全体を通した感想

今日から2日間の場を作っていくようなkeynoteで、素晴らしかったです。それはそうでしょってなることを丁寧にぐっと捉え直し、今ここを大切にしている大切さが個人的には感じられてとってもよかったです。

話せなかった30枚のスライドもぜひ聴きたいです笑

*1:地方だと特に一族の掟などルールの強要、全く笑えないいじり、モラハラ、DV...