天の月

ソフトウェア開発をしていく上での悩み, 考えたこと, 学びを書いてきます(たまに関係ない雑記も)

(オンライン読書会) これが現象学だに参加してきた

educational-psychology.connpass.com

こちらのイベントに参加してきたので、会で話して印象的だったことと感想を書いていこうと思います。

実存する対象

トワルドフスキーが述べている「実存する対象を持つ表象」と「実存する対象を持たない表象」の議論は、フッサールの意見とは対立している議論だよね、ということを確認していきました。(ざっと読むとフッサールの意見を補強するような意見だとも思えるため)

現象学的な表象と認知科学的な表象

フッサールがいう表象の概念は、認知科学の表象と関わりがあるのか?という話をしていきました。

認知科学現象学それぞれの表象がどういう関係なのか?に関しては正確な出典などがないのですが、認知科学の表象の特性の一つである「一貫性を保てるように断片化している表象は動的に自己組織化される」という話は、

  • 存在そのものに触れられるわけではなく経験などから思い込みされるという現象学の前提とは食い違いがあるのでは?
  • 意識せずに表象が形成されるという文脈で考えると差異はないと捉えられる
  • 自己組織化という表現が、現象学の表象とは食い違いを感じる。現象学の表象は、自我によって統合される

また、少し軸はずれますが、この話は構成的想起の話とも近いかもしれないという議論も出ていました。

超越

本ではまともに超越の説明がされていないのでは?(わかりやすく解説しようとして、複雑な説明は避けている?)ということで、参加者から改めてフッサールがいう超越とは何か?の整理がありました。

フッサールにあっては、<超越論的>が対置されるのは<自然的(natürlich)>ないし<世界内部的(mundan)>という概念である. (...)つまり客観的世界の存在を暗黙のうちに、また無条件に信じ、それを前提にすべてを考える思考習慣(...)を遮断するという超越論的な還元作業をおこない、もはや<世界内部的>という規定を剥ぎ取られた純粋意識つまり<超越論的意識>において、<世界>をもふくむ様々な意味形成体が構成される次第を記述しようとする企てである。

が辞書的な定義になっており、現出の話とも関連性があるのではないか?という議論が出たりしていました。

主観は客観に先立つ

誤解を招きやすい表現として本書でも丁寧に説明されていたので、改めて参加者で理解を確認していきました。

学問の基礎は表象(=内)が始原となって構成されているもので、ゴールではなくてあくまでも出発点としての発言だよねという話や、ここでいう主観は一般的に言われているような「主観的な意見」の主観とは異なる部分があるよね、という話を再確認していきました。

現代の心理学

(例えば教育心理学など)現代の心理学は、フッサールが言う自然的態度を取っていない学問であり、本に書かれている心理学とは一線を画している可能性があるという話をしていきました。

そこから話が発展し、このコミュニティで扱ってきた本(教育心理学概論、能動的推論、ベイトソン...)は自然的態度を取っていない話が多いよね、という話をしていきました。

知覚・経験↔感覚・体験

フッサールの論では、言葉にできないものを言葉として表現しようと試みているため、本にある平行四辺形と正方形の例(机の例)は、例としてはわかりつつも平行四辺形という言葉を使ってしまっている時点で論に矛盾が生じてしまっていないか?という話がでていました。

全体を通した感想

前回は用事があって参加できなかったので、かなり久々の参加に感じましたが、教育心理学関係勉強会/読書会らしく様々な学問とのつながりが出てきたり、個々人の疑問点をそれぞれの理解度に合わせて語り合うことができて非常に楽しかったです。

議論しすぎて本のページ数はびっくりするほど進まないですが笑、次回以降も楽しんでいこうと思います。