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こちらのイベントに参加してきたので、会の様子と感想を書いていこうと思います。
会の概要
タイトル通り、RSGT2024の狩野先生の講演を森崎先生の解説で同時視聴していくイベントです。
会の様子
森崎先生からのオープニング
及部さんから簡単にオープニングがあった後、森崎先生から話を聞く上での前提がありました。
今回の話は、非常に多くの示唆に富んでいる一方で、BFの3段階/ボブとメアリーの話に関しては、ジェンダーギャップに苦しんでいる方がいらっしゃった場合は受け入れにくい話なのかもしれないという注意がありました。(どちらの話もジェンダーギャップを強調したいわけではなく品質に対する理解を進めるためのたとえだということです)
森崎先生からの補足つき同時視聴
森崎先生がチャットで補足をしてくれている状態で同時視聴をしていきました。以下、いただいた補足コメントを記載していきます。(参加者の皆さんからのコメントも面白いコメントが非常に多かったのですが、会の趣旨を考慮して今回は森崎先生のコメントのみ抜粋しておきます)
- (狩野先生がいつもと違う層に講演しているという話に対して)普段はおもに国内外の経営者向けに話されている
- 例えがちょっと古いがおそらく同世代だとよく理解できるたとえになっている
- 品質統制/品質管理/魅力品質想像の話は、品質や顧客価値のライフサイクルの文脈で大切なポイント
- 動機づけファクタとがっかりさせるファクタは、講演における一つのクライマックスだと思う。両方を品質と捉えているときもそうでないときもある。アジャイルの価値とも共通点が多いと思う
- 品質と品種の話は、多様なユースケースで満足度を増すのか、ユースケース単体の充実度(品質)で満足度を増すのか、と考えるとある程度理解できる気がしているがそれでもよくわからない...リモコンも有無とみれば、品種だが、リモコンも多様な機能を提供しはじめると品質になる
- 品質創造の一つの方法は品質を作ることになる
- 狩野先生の品質は品質は「プロダクト全体としての魅力」みたいな解釈をするのがよさそう
- バグの話は単一品種の充実度を言っていて、ついていくのがハード
- スマホで済ませるのではなく、スマホのどこが魅力的なのかという品種の話をしないといけない
- 顧客の理解度でしか品質は捉えられない
- 「当たり前」とか「魅力」は人によって理解差がありすぎるが、これは「アンケート回答者の中で」という前提になっている(論文参照)
- 狩野先生は潜在要求をみつけるにはとにかく投資していろいろやってみるしかないという方針なのでWFというよりはアジャイルに近い。ただよく観察したり調査をして潜在要求をはずさないようにしろとは言っている
発表後の感想戦
いろいろな品種と充足度
最初に、製品としての品質を語るときにいろいろな品種があるという話と充足度の話がごっちゃになっているのではないか?という話がありました。ソフトウェアでも、プロダクトの満足度を突出した魅力品質で充足させようとしているのかトータルのバランスで満足度を上げようとしているのかの違いがあるので、そういう風に捉えてもよいのかもしれないということです。
ハードウェア前提の狩野モデルをソフトウェアに適用する難しさ
ソフトウェアの文脈だと、カラーテレビの品質要素は人によってぜんぜん違うじゃんとなりがちですが、これはソフトウェアはリリースや機能追加の自由度が高いが故にしっくりきにくいからではないか?ということで、一定は割り切って自分たちに使えるところだけ取捨選択するしかないのではないかということでした。
狩野モデルの使い方
狩野モデルは、分類やここをどのくらい頑張って作り込めばいいのか?の話が主な使われ方かなあという話がありました。マーケティングでもいろいろな分類方法はありますが、狩野モデルは用語の学習コストが低いので、共通言語として使うには非常にパワフルでよく使われているのではないか?ということです。
なお、アジャイルの多くの書籍ではスナップショットでしか魅力品質や当たり前品質を捉えていないのは少しもったいないということで、ライフサイクルとして捉えることもできるのではないか?という話がありました。
ただし、東日本大震災におけるトイレのレバー*1のように、時間軸で線形に変化していくというよりはスナップショットがなにかの出来事をきっかけに移動するみたいな捉え方の方がしっくり来るというお話でした。
品質の定義に関する議論
品種や品質の定義に関して車輪の再発明が行われているが故に、なかなか議論が進まず、もったいないなあということです。
また、こういった記録がない背景としては、新しい分野ではガンガンと新機能が開発されており、狩野モデルで言われているような当たり前品質が形成されているような状態ではなかったからでは?という推測も併せてありました。
アリストテレスにおけるクオリティとアジャイルにおけるクオリティ
アリストテレスは歩くWikiのような人だったものの、アリストテレスが「クオリティ」を客体化しているがゆえに、禅とオートバイ修理技術ではクオリティを貶める最大の存在がアリストテレスとされているという話が森さんからありました。
ソフトウェアでは「要求された通りに動くか?」がクオリティとして評価されがちですが、エンタメだと人によって求めるものが全然変わっており、客体化したクオリティを定義するのはなかなか難しいのではないか?ということです。
また、インフルエンサーの誰かがやっていることを自分もやりたいと思ってやっているのは、潜在的なクオリティが高いからなのか?という話もあり、この話からもクオリティを客体化することは難しいのでは?ということでした。
会全体を通した感想
22:45くらいに抜けたのでまだまだ前半戦という中で抜けたのは心残りですが、なかなか咀嚼が難しい講演をこの人数で同時視聴できる機会があって非常に楽しかったです。
幾つか読んでみたい論文も知れましたし、品質にまつわる混乱も新しい側面から知れたので、学びの多いイベントでした。
*1:もともとはスタイリッシュなレバーがうけていたが停電するとレバーが使えないことがわかり、スタイリッシュなレバーはなくなった