天の月

ソフトウェア開発をしていく上での悩み, 考えたこと, 学びを書いてきます(たまに関係ない雑記も)

『スクラムマスターのキャリア』〜 スクラム Bar #5に参加してきた

chatwork.connpass.com

こちらのイベントに参加してきたので、会の様子と感想を書いていこうと思います。(当日申込していたのですが都合で出れず、後追いでの参加でした。Youtube live便利!)

会の概要

以下、connpassのイベントページから引用です。

このバーは、アジャイルスクラムに強みを持つ "だいくしー (粕谷)" を店主に据えて、 みなさまのお悩みに寄り添いながら「どのようなアプローチが考えられそうか?」を語り合う場です。

今回は「スクラムマスターのキャリア」に焦点をあてたいと思います。スクラムマスターにチャレンジしてみたのはいいけど、このスキルを伸ばした先にどんなキャリアがあるのだろう? この先スクラムマスターとして生き残っていくには?

今回はLAPRAS株式会社の遠藤さんをゲストにお迎えして、「スクラムマスターのキャリア」についてお話しようと思います。

会で印象的だったこと

スクラムマスターキャリアの紹介

SCRUMMASTER THE BOOKスクラムマスター道を参考に、スクラムマスターに関しての紹介をしてくれました。

スクラムマスターがマネージャーに昇進するということはないとだいくしーさんは考えているそうですが、スクラムマスター道のレベルが上がり、チーム全体や関係性を支えるようになっていくにつれ、組織のコンテキストによっては名前が変わることも有り得るだろうというお話がありました。

名前よりもやっていることや、どのくらいの規模に対して影響を与えているのか?を考えることが重要だというお話が印象的でした。

遠藤さんのキャリア

遠藤さんは、元々スクラムマスターとして働いていたということですが、一度プログラマーになろうと考えて転職し、その後*1再びスクラムマスターに転身したということです。

これは、入った先のチームでスクラムが機能していなかったことと、物凄い腕力があるエンジニアたちを目の当たりにして、この人たちのマネジメントをしてみたいと考えたことが理由だというお話でした。

スクラムマスターが楽しくて、一度現場に戻ろうと思ったけど自然とスクラムマスターになったという話は面白かったです。

スクラムマスターというキャリアに対する不安

スクラムマスターに対するキャリアに不安はあるか?という質問が参加者から出ていたのですが、遠藤さんもだいくしーさんもキャリアに対しての不安はないという話*2をしていました。
理由としては、人と人がコミュニケーションをしている限り、不要になることはない職業だと思っているからだということです。

一方で、現場から離れすぎているとモダンな開発に対する勘が鈍ってきてしまう不安はあるということで、副業でカバーをされたり、たまにコードの面倒を見たりすることもあるというお話でした。

新卒2-3年目でスクラムマスターになることは無理なのか?

チーム内外の力学把握、エンジニアに対してのティーチング、ドメイン知識がない状態での意思決定支援、理想の開発チームを描くスキル...が新卒2-3年目の状態ではなかなか身につかないのではないか?という懸念があるため、難しいと思うという話がありました。

一方で、成熟度が高いチームであればスキルを磨きつつスクラムマスターについて学ぶこともできるだろうし、アジャイルコーチがスクラムマスターを支えてくれるようなチーム環境であれば足りないスキルセットをカバーすることもできるだろうし、一度チャレンジしてみるのも良いのではないか?という意見も出ていました。

兼任について

スクラムマスターはチームが長期的な視点で機能するように振る舞う上に、アンコントローラブルなものに対して向き合うことが多いため、精神的にヘルシーに働くためには、何か自身の価値が出ていることが実感しやすい仕事と兼務するという選択肢もあるのではないか?というお話が遠藤さんから出ていました。(開発チームの仕事を取ってしまうのは、チーム内でスクラムマスターという役割が揺らいでしまうのでNG)

兼任について、このような考え方をされている立場でお話を聞くことができたのは今回が初めてで、自分の中では新しい意見だったので、非常に興味深かったです。

会全体の感想

色んなイベントでスクラムマスターのキャリアについては語られており、自身も非常に興味があるテーマだったので、だいくしーさんと遠藤さんと藤井さんのお話が聞けたのは面白かったです。

次回こそはリアルタイムで参加しようと思います!

*1:転職した会社の3ヶ月後

*2:だいくしーさんは不安になることもあるけれど、改めて考えると不安ではなくなると仰っていました