天の月

ソフトウェア開発をしていく上での悩み, 考えたこと, 学びを書いてきます(たまに関係ない雑記も)

知ってるつもり―無知の科学を読んだ

こちらの本を読んだのですが面白かったので、久しぶりに読書メモを書いていこうと思います。

本の概要

人は殆どの事象を理解することができていないのに、なぜ理解をしたと錯覚してしまうのか(いわゆる「無知の知」に気が付かないのか)、この錯覚によってどんな問題が起きるのか、理解をしたという錯覚を無くすためにはどのような行為が有効か、というのを説明してくれている本です。

本で印象的だったこと

説明深度の錯覚

人が自分が想像以上に物事を理解できていないという事実が「説明深度の錯覚」という言葉と実験で説明されていました。
また、説明深度の錯覚が発生していることに(自分自身も含め)気が付くための手法(質問)、というのも紹介されていました。
手法自体はシンプルで、理解している事象に対して「なぜその事象が発生しているのか?」「どういう因子がその事象に関わっているのか?」を問うだけなのですが、本書で挙げられていた例含め、自分が当たり前に理解できていると思っていることが殆ど理解できていないことに気が付かされました。

超記憶症候群

超記憶症候群と呼ばれる、自分自身に起こった出来事を全て記憶することができる特性を持った人について紹介がありました。
その上で、一見羨ましい能力を持っているように見える超記憶症候群の人たちが苦しむ理由について説明があり、なぜ人間が多数の事象を記憶できるように進化してこなかったか、という観点でも考察がされていました。
自分たちが仕事をしていると、なるべく多くのことを覚えている方が有利なように思えますが、様々なことを覚えようとする努力は実はあまり意味がなくて、むしろ自分が如何に少ないことのみ覚えておける状態にするか、という努力も重要だということかもしれない、と思いました。

外部記憶装置としての世界

人が自分が想像している以上に少ない事象だけしか理解できていないのにも関わらず、なぜ高度な営みができているのか、という疑問に対する仮説として、世界自体が外部記憶装置として機能しているという話がありました。
「脳が思考しているのではない、脳と共に世界が思考しているんだ」という考え方は正直自分が今まで考えていた捉え方と違い過ぎて、それこそ理解できているのか怪しいのですが、デカルトの二元論を否定している所も含め、「部分」と「全体性」の概念を提唱したアレグザンダー味を感じました。

g因子とc因子

個人の知性を測る因子として、g因子という指標がまず紹介されていました。
このg因子自体も非常に興味深いものですが、g因子の限界が説明された上で、個々人が他の人とどれだけうまく協調できて、チームとして見たときにチーム全体でどれだけ高いパフォーマンスを発揮することができるか、という因子として、c因子という考え方も登場して、これも負けず劣らず面白かったです。

個人的には、本書全体の内容も踏まえると、c因子の考え方を通して、個人よりもチーム(人とのコラボレーション)に注目する理由により強い納得感がありました。

全体を通した感想

身の回りで起きていることの殆どを理解することができていないという事実と共に、ちっぽけな知識をどのように活かしていくと良いのか、この先にどんなスキルが大切になっていくと想像されるか...本を読む前の期待以上に様々な話を知れたのが良かったです。
行動経済学、生物学、心理学...色々な学問が混ざり合っている本書の説明を見て、学問のコラボレーションの重要性を理解できたのも最高でした。
また、改めてアリやミツバチといった生物について興味が強くなる本でした!*1

*1:このあたりの詳細は是非本を読んでみて下さい